2017年11月10日金曜日

自分らしさだけを追い求めても、それだけではオンリーワンにはなれない。



山口 周(著)『天職は寝て待て~新しい転職・就活・キャリア論~ 』を読んでます。

陶芸をやっていていると、自分らしい器とは?そもそも自分の中に「自分らしい」と言えるものが、あるのか?ないのか?そんことを考えることがあります。

今自分が備わっている技術や考えは、生まれたときから持っていたものではなく、色んな通過点で吸収した結果として身につけてきた、と考えますが、自分らしさとは一体なんでしょうか。

 一つ明確な傾向として指摘したいのが、ここ数年の「自分らしさ」を称揚する歌の台頭です。例えば「自分らしく」、「僕らしく」、「君らしく」という言葉で歌詞検索をかけてみると、該当するのは平成に入ってからの歌がほとんどで、昭和の歌は全く出てきません。加えて「自分らしさ」や「自分らしく」といった「そのものズバリ」の言葉は含んではいないものの、例えばSMAPの〝世界に一つだけの花〟のように、歌詞全体として「自分らしさ」を称揚している歌まで含めば、相当量の歌が「自分らしさ」、「君らしさ」を大事にしようと訴えていると考えられます。



著者は「自分探し」と言っている若者たちは、「自分らしくない」と思う事態に向き合うと、すぐにそこから逃げ出してしまう傾向があると指摘しています。

ひと昔前なら、尾崎 豊氏の『僕が僕であるために』は、僕が僕であるためには、勝ち続けなくてはならない、と逃げずに向き合うことを歌っている点で今とは異なります。

 オンリー1という言葉は、競争の序列から離れた個人が、それでもなお内在的に価値を有していることを示唆しているように思われますが、実際には「世界に一つだけしかない」ということはそのまま価値を持っていることを意味しません。足元に転がっている石コロでも全く同じ形のものは世界に二つとないわけで「世界に一つだけのオンリー1なんです」と言われても、価値判断をする側としては「は? だから何?」としか応えられないでしょう。つまり、これらのレトリックは、ナイーブな人たちを慰める一種の「まやかし」でしかないということです。



著者が石コロを例えるように、何も努力もせずありのままであれば、その他大勢のひとりでしかありませんので、石コロかダイヤになるかは、個人の努力次第ということになります。

自分らしさというのは、自分が得意としている技術や知識のもと、勝負していけそうな路線で継続して活動していくことで光り輝いてくるものなのです。

そして、オンリーワンを目指したいなら、経営戦略の神様マイケル・ポーターの考え方からすれば、独自性を目指すものは、ライバルを完全に模倣せず、自ら選んだ顧客の為に一層大きな価値を生みだすことを焦点に置く必要がある、ということになります。

0 コメント:

コメントを投稿