2017年11月13日月曜日

人生は『選択』である。意思力を発揮して『拒否』すれば、もっと飛び抜けられる。



山口 周(著)『人生を守るための最後の時間術:「ノンビリしながら成果を出す人」はどうやって時間管理しているのか?』を読んでいます。

人生というのは「選択」であり、「選択」とは他に無限にある可能性の中からほとんど全てを拒否して、たった一つだけの「これだ」を選んでいくということなのです。



これまで生きてきて色んな選択肢があって、それらをひとつひとつ選択して今に至りますが、その裏を返すと多数の拒否をしてきた、と考えることができます。

多様化した今の時代では、何でもできます、と言う人は、何にもできない、と言ってるようなものです。あなたは、どう考えますか?

人があてがってくれた選択、あるいは人から強要された選択に従って生きていたのでは「自分の人生を生きる」ことにはなりません。たとえ最終的に失敗してしまっても良いので、自分で「これだ」と思える選択を生きて行くのが人生です。つまり、人生というのは「選択」であり、「選択」とは他に無限にある可能性の中からほとんど全てを拒否して、たった一つだけの「これだ」を選んでいくということなのです。



拒否は拒否でも、自分の意思力を働かせた拒否と流されてしまった拒否、どちらなのかで人生の流れは大きく変わってきます。

良い拒否としては、他人からの依頼を拒否することや自分自信の衝動的な欲求を拒否すること、がありますが、どちらも『やらない』という意思力を発揮させる点では同様です。

悪い拒否は、誰かの指示で仕方なく流されてしまい、やりたかったことをせずに、結果として拒否してしまった場合です。

 これは彫刻でも絵画でも同じことです。ある絵の具をキャンパスの上に置くということは、他の無限にある色の全てを拒否するということと表裏一体です。つまりアーティストによる創造という行為は、選択と拒否によって成り立っていると考えることができます。



陶芸の世界では、削りという器の底の高台や周りの余分な粘土を削る作業がありますが、まさにこれは削る為の技術が必要です。

作品やコンテンツを作りあげるためには、アウトラインを決めて、不要なデザイン、不要な色、不要な音を削り落として完成することから、拒否するという行為もひとつの選択と考えることができます。

 拒否しないということは肯定もしない、ということです。皆さんの周りにもいませんか?好きなのか嫌いなのかはっきりしない、何をしたいのか、どうしたいのかもよくわからない、という煮え切らない態度で周囲をイライラさせるという人。本書の前半で取り上げたクソ上司にはそう言った傾向がよく見られます。こういう煮え切らなさは「肯定」の問題ではなく、拒否できないということから起こります。拒否は肯定の裏返しでしかない。強く拒否できないという人は、そのまま強く肯定することもできないのです。人生の中に肯定だけを取り入れ、心理的に負担のかかる拒否は取り入れないというのは虫が良い考え方と言わざるを得ません。拒否と肯定はコインの表裏みたいなもので、どちらかだけを求めることはできないのです。



著者は、拒否しないということは、肯定もしない、と指摘していますが、何かを手に入れるには、不要なものを削って(拒否)、受け入れる為の時間を確保する必要があります。

そうやって、どこかを削れば(拒否)、どこがが尖ってきます。削り落とす、というより、削り出す、という表現が正しいかもしれせん。

不要な部分を削るだけでも、メリハリが付きますが、その削った部分(時間)をさらに尖った箇所に費やせばさらに飛び抜けることができるのです。

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